ローマ様式

ローマ様式の文化

【エトルリア】

イタリア人南下以前より、エトルリア人が半島中北部に定住していた。エトルリア人の民族系統はまだ解明されてはいませんが、小アジア西端から海路を渡ってきたと言われています。紀元前7世紀ごろから独自の文化を形成し始め、前5世紀にはその活動は全盛となっていきます。

エトルリア文化の特徴的なものは、ローマ北方のタルキニアやチェルベテリに残された貴族達の地下墓室にある壁画、テラコッタ、青銅像、陶棺などになります。特に青銅像は鋳造技術が優れており、ローマ建国伝説の象徴である「カピトリーノの雌狼」が有名です。

【ローマ】

ローマ人は紀元前6世紀末にエトルリアの王を追放して共和制を敷き、紀元前3世紀にはイタリア半島をほぼ征服しました。その後、カルタゴ・マケドニアを破り、紀元前2世紀半ばに地中海全域を支配下に収めた。

エトルリア人が支配していた時代の後、紀元前6世紀以降共和制時代となり、紀元前27年に帝制の時代に入る。ローマ人の築いた文化は、ギリシャ人の理想主義とは異なり、きわめて現実的であり、生活は享楽的な性格を強めていった。

【ローマの建築】

アーチ・ヴォルト・ドームによる巨大な建築空間を作り出した。煉瓦壁の間にローマンセメントを使ったコンクリートを流し込むことによって構成されているが、石とコンクリートを兼用することもあった。ローマのコンクリートは火山灰、石灰、砂、砂利を混ぜたもので、どこでも手に入る材料を使用しています。

デザイン的には、ギリシャのオーダー応用して用いて、主体構造には組石造を用いながらも、正面にギリシャの架構法によるオーダーを取付けることまで行なわれました。


写真はヴォルト建築様式

代表的な建物

パンテオン

内径・天井高とも43mで、頂上の直径9mの円形窓がある。

コロセウム

長軸188m、短軸156mの楕円形で高さ48m、5万人の観客を収納

カラカラ帝の浴場

400m四方の中に図書館、劇場、競技場とその中心に大浴場を設けている

【ローマの都市計画】

ローマ建築の特徴として、公共建築が著しく発展したことで、フォールムはギリシアのアゴラと同じく市民が会合する広場で市場も建ち並び、なかでも最も整った配置を示したのは、トラヤヌス帝のフォームで、バシリカ、記念柱と図書館、神殿が整然とならんでいます。

近世都市の原形をつくるに至り、3~4階建ての集合住宅もみられる。大規模な建築物の可能性と内部空間の効果をもって次世代に大きな影響を与えています。

【ローマの住宅】

アトリウム(玄関近くにある明かりとりの天窓をあけたホールのこと)を中心にした平面で、床は大理石のモザイク、壁面や飾り柱はフレスコ画が施されている。後にベリステリウムと呼ばれる列柱廊をもつ中庭が加えられ、豪壮になります。

【ローマの家具】

ギリシャの意匠を受け継いだものが作られる。ただ装飾的要素が強くなっていき、材料は木材の他ブロンズ大理石が用いられる。

公的に使用された椅子

ソリウム、ゼセリウムetc

(寝椅子に横たわって会食する習慣がありました)